紫川の跡を白川公園まで歩いてみた

矢田です。

 熱田台地の上をかつては紫川という川が流れていました。その川は、名古屋市科学館の北東あたりを水源とし、科学館の北側を西に向かって流れ、伏見通りに至ると南に向きを変え、さらに若宮の交差点のところで今度は西に向きを変えて、堀川まで流れていました。つまり、若宮大通りの若宮交差点から新州崎橋までの区間は、かつての紫川の跡地ということになります。

 先日、入門ゼミの学生と一緒に、その紫川の跡地を下流から上流に向かって、白川公園まで歩いてみました。まず、熱田台地の坂道をのぼり、堀川に架かる新州崎橋の上から紫川の排水口跡とかつての尾張藩海軍の拠点「御船手役所跡」を確認し、その後、洲崎神社に立ち寄ってから、緩やかに続く上り坂を、途中、若宮大通りが両側の土地よりも低くなっていること、つまりは川に浸食された跡であることを確認しながら歩きました。

 後日、そのときの模様を学生たちにブログを書く感じで報告してもらいました。その中から一つ以下に紹介してみたいと思います。タイトルは「かつての水流をたどって」です。

「かつての水流をたどって」

 5月20日の1限、わたしたち矢田ゼミ一行はとある名古屋の道を歩いていた。その道は以前川が流れていた道である。わたしたちは白川公園を目的地とし、かつて水流であった名古屋の台地を踏みしめるべく、緩やかな坂道を登って行った。
 愛知大学を出て、わたしたちはまず東の方向に進んだ。5分ほど歩いて着いたのは水主町公園。「水主」と書いて「かこ」と読むらしい。この読み方は名古屋ならではで、理由は…なんだったか。近くの「PINEAPPLE MINT」という喫茶店が気になりつつ、わたしたちは矢田先生の説明を受けながら白川公園へと向かうために足を進めた。
 次に着いたのは洲崎神社。どうやら芸能や縁結びで有名な神社だそうで、境内にはハートの形をした絵馬が多く掛けられていた。また、神社の奥には白蛇の置物も飾られていた。とある人が熱心に神頼みをしていた。ぜひ彼女のもとにもあの白蛇が新しい恋を届けてくれたらと思う。
 そうして寄り道を加えながら、わたしたちは白川公園に到着した。名古屋の街の中だとは思えぬほどの緑で少々驚いた。公園の真ん中にはサーカステントが建てられ、公園内の道はウォーキングや散歩の人々で賑わっており、地元の憩いの場であることが感じられた。科学館の前を通りさらに奥へと足を進めると、小さな公園があった。わたしたちは童心に返り遊具でひとしきり遊んだ後、2限の授業のため後ろ髪を引かれる思いで公園を去った。
 あのにぎやかな道がかつては川の流れた跡だとは想像もつかないが、あの緩やかな道の傾斜は川であったことを連想させた。さて、白川公園で矢田先生は拾った陶器の欠片を返してくるといって林の方へ入っていったが…果たして本当に返したのだろうか。

写真1 紫川の流れ

写真2 熱田台地入口から堀川までの坂道

写真3 紫川の排水口跡

写真4 御船手役所跡

写真5 洲崎神社

写真6 中区スポーツセンター前から見た若宮大通り