経営学部新任教員の紹介 (山川法子先生)

こんにちは。9月から名古屋キャンパスで教職を担当しております山川法子です。
教職、つまり学校の教員という職業って、皆さんにとっては身近な職業だと思います。
自己紹介代わりに、<教育>に関する話をしたいと思います。まずは、下の絵を見て下さい。

“ぼく”が六つのときに、鼻たかだかと、“おとなの人たち”に、自分が描いた絵を見せながら、こう言いました。<これ、こわくない?>
皆さんには、何に見えましたか?この絵こわいですか?
これは、サン・テグジュペリの『星の王子さま』に、えがかれた一節です。これを見せられた“おとなの人たち”は、<こわいものか>と応えます。この絵が“ぼうし”に見えたのです。でも、“ぼく”が描いた絵は、ぼうしなどではありません。原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という本の中で、一ぴきの獣を飲み込もうとしているウワバミの絵と、飲み込んだ獣を腹の中で「こなす」と書かれた説明を見て、「ジャングルのなかでは、いったい、どんなことがおこるのだろうと、いろいろ考えて」、色エンピツではじめて描いた絵なのです。
“ぼく”は、ゾウを「こなし」ているウワバミの絵を描いたのです。
どうですか?こわいと思えてきましたか?
“ぼく”が、“おとなの人たち”に対して、それからどうしたのか。
「こんどは、これなら、なるほどとわかってくれるだろう、と思って、ウワバミの[なかみ]をかいてみました。おとなの人ってものは、よくわけを話してやらないと、わからないのです。・・・すると、おとなの人たちは、外がわをかこうと、内がわをかこうと、ウワバミの絵なんかはやめにして、地理と歴史と算数と文法に精を出しなさい、といいました。ぼくが、六つのときに、絵かきになることを思いきったのは、そういうわけからでした。ほんとに、すばらしい仕事ですけれど、それでも、ふっつりとやめにしました。・・・ぼくは、がっかりしたのです。おとなの人たちときたら、じぶんたちだけでは、なに一つわからないのです。しじゅう、これはこうだと説明しなければならないようだと、子どもは、くたびれてしまうんですがね。
そこで、ぼくは、しかなたしに、べつに職をえらんで、飛行機の操縦をおぼえました。そして、世界じゅうを、たいてい、どこも飛びあるきました。なるほど、地理は、たいそうぼくの役にたちました。ぼくは、ひと目で、中国とアリゾナ州の見わけがつきました。夜、どこを飛んでいるか、わからなくなるときなんか、そういう勉強は、たいへんためになります。」
“教育”とは、いったい何なのでしょう?何のためにするものなのでしょう?“ためになる”とは、どういうことなのでしょう?
“おとな”になった“ぼく”は、六つの時に描いたウワバミの絵を、ものわかりのよさそうな人たちに見せ、“ほんとうにもののわかる人”かどうかを試します。でもいつも、返事は、<そいつぁ、ぼうしだ>なのです。

さて、皆さんは、“教育”に何を求めますか?考えてみたいな、という人、お待ちしてます!
  引用・参考:サン・テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳、岩波書店(2000)